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郷土風土記
「五十嵐」姓発祥の地 五十嵐神社
三条 飯田小学校

 校長会報をお読みの皆様の中に「五十嵐」姓の方がおられると思います。当校にも「五十嵐」姓の児童が13名、11家庭います。 全校児童の約10パーセントを占めています。少し前の資料ですが、「五十嵐」姓は新潟県で第9位、全国では113位にランクされています。読み方は「イカラシ」「イガラシ」などです。この「五十嵐」姓ですが、新潟県三条市飯田(旧下田村)にある「五十嵐神社」がそのルーツといわれています。これほどルーツがはっきりしている姓は珍しいそうです。
 それでは、「五十嵐」姓発祥の地であります「五十嵐神社」について紹介します。

五十嵐神社の由来
 五十嵐神社は、飯田小学校といいだ保育園に挟まれた山林の中にあります。神社の南西側には、信濃川の支流である五十嵐川が流れています。昔から氾濫する川として知られています。
 第11代垂仁(すいにん)天皇の第八皇子である五十日帯日子命(いかたらしひこのみこと)が祭神です。五十日帯日子命は、大和朝廷が北九州から中部地方に至る国土を統一したであろう4世紀の中頃に、天皇から越の国の開拓を任されました。頚城地方、上田郷(南魚沼)、下田郷の順に開拓を行い、治水や農耕の技術を教え、稲作を広めたと伝えられています。そして、飯田宮沢の地で生涯を閉じ、舞鶴の丘に葬られたといわれています。 この人物が、五十嵐一族の始祖ということになります。本殿右手に五十日帯日子命の陵墓が建立されています。
 「五十嵐」とは、「伊賀多良志(いからし)」「伊賀良志(いがらし)」とも記され、農民の理想と希う「五風十雨(ごふうじゅうう)の天候の好順」を表す意と伝えられ、地域一帯を潤して流れる清流の五十嵐川の名称もこれに由来しています。 その後、「五十嵐・伊賀良志」神社が建立され、約700年後の大化の改新によってお墨付きを与えられ、五十嵐一族が宮司となります。さらに、約400年後、鎌倉幕府の御家人となって、五十嵐氏が地頭としてこの地を治めることになります。

五十嵐小文治伝説
 神社の鳥居から拝殿までの間にある大杉木(おおすぎぼく)の幹に石がめり込んでいます。これは、豪勇・五十嵐小文治吉辰が投げたものと言い伝えられています。五十嵐小文治吉辰は、鎌倉幕府将軍源頼朝の御家人でした。五十嵐館から大石を投げたら400メートルも飛んで、杉木に当たり、めり込んだという言い伝えです。真偽はともかくとして、この石の効果で五十嵐神社は、安産祈願の神社にもなっています。 大杉木の反対側には、五十嵐小文治吉辰の墓があります。歴代当主が小文治を名乗ったらしいので、いつの時代に建立したのかは不明です。山形県上山市にも領主開祖として、五十嵐小文治の碑があります。1201 年に越後から移ったという記録が残されていますが、たくさんの小文治がいるため人物を特定することはできません。

五十嵐神社の祭礼
 五十嵐神社には、春と秋に祭礼があります。平成26年度の春祭礼は5月3日、秋祭礼は9月21日でした。春は、米や野菜がたくさん取れますようにと神様にお願いします。秋は、収穫がたくさんあったことに対して神様にお礼をします。その時に「稚児舞」が奉納されます。当校高学年児童による舞いですが、とても優雅で見事です。一度は途絶えたものを地域の人々の熱意と努力で復活させました。少子化の中で伝統を守ることは大変な苦労だと思いますが、伝統文化に親しむ子どもを育てていきたいと考え祭礼での「稚児舞」奉納ています。

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