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初等教育巻頭言

新潟県小学校長会 会長 大野 雅人 「平穏」に感謝しながら

新潟県小学校長会
会長 大野 雅人

 「あの日」の衝撃的な原子炉建屋の水素爆発からまもなく8年。自身の日常から縁遠いところの出来事の記憶は否応なしに薄れていく…。
 昨秋、廃炉へ向けた福島第一原子力発電所と事故に伴う双葉郡の小学校の現状を視察する機会を得た。福島県浜通りは、不通だった常磐道そして国道6号線が全通し、あとはJR常磐線の富岡~浪江間の代行バス区間約20キロの整備を待ち、東京オリンピック開催までには平常運転に戻るという。双葉郡8町村のうち帰還困難地域は双葉町と大熊町を残すのみ…。「復興がどれだけ進んだのかなぁ」などと安直に考えていた自身を思い切り反省し、心静かに恥じるに至った。60歳にして「百聞は一見にしかず」の鮮烈な体験である。

 隣県からの参加だが、実距離は思いのほか遠い。また、心理的にはさらに遠い場所での「あの日」の過去の出来事としてのとらえが衝撃的に変わっていく。
 双葉郡広野町から北上し被災地域に近付くと、バス車窓には延々と同じ風景が続く。おそらくは田畑であった沿道は、雑草が生い茂り雑木が並ぶほどに放置されている。主要な道路や生活居住区域の除染は終えているものの山林原野は手つかずの場所が多く、放射線量は今も高いという。町民が戻り始めた富岡町の警察署脇の公園には、原形をとどめないほどに押しつぶされたパトカーが震災遺構として残され、多くの花が手向けられている。「あの日」二人の警察官が懸命の避難誘導の最中、津波に遭い、お一人が殉職、もうお一方は現在も行方不明だという。今も多くの住民が花を手に訪れている。「あの日」の修羅場が想起され直視できない。「あの日」の大震災で命を失った人は、12都道県で15,895人、今なお行方不明の方は2,539人という(寄稿時現在)。近代災害史で未曾有の事故となった「あの日」の現場の訴えは、非当事者の心の有り様を直截に確然と否定しながら重く苦しくのしかかる。
 人の生死に係ることを凌ぐ事案はないが、放射線に係る課題も想定を超えて厳しく切ない。人は「目に見える」物事には、敏感に実直に対峙できるが、「目に見えない」事物に対しては、注意とか警戒といった類いの域とは異次元の恐怖心を抱くのかもしれない。毎日約四千人が従事する廃炉作業は30年以上の月日を要するといわれ、「目に見えない」ものとの戦いは終わりも見えない。発電所の北に位置する浪江町では、住民の帰還が進んでいるが、震災発生時に1,162人を数えた児童生徒が現在わずか11人だという。当該校長の語る現状説明の言葉の端々に、悔しさや憤りが積み重なった無念さがうかがえた。

 今年度も700人を越える児童生徒が、ふるさと『ふくしま』を離れ新潟県内で学んでいる。福島県小学校長会古関会長の「事故の風化、風評は許さない」との低い声が耳に残り、時に繰り返し響く。隣県で教育に携わるものとして、記憶を遡り、使命感を新たに職務に精励したい。そして、日々の教育に同僚と励める場がある、この「平穏」をありがたく受け止め、〝春〟を待つ…。

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